セオリーが大事なのか - コンパスに例えて
つい数時間前の記事に対して手のひらを返したような内容になるのですが、発案のベースは意外にも変わりません。
野良チーム戦というスプラトゥーンガチマッチにおいてはセオリーは大事という話。
格闘ゲームやTCGのような1vs1のゲームだったら、「プレイヤー読み」みたいな戦術もあるので、あえて定石を外す作戦も成立すると思います。
しかし、スプラトゥーンはチーム戦。
1人のプレイヤーが試合に与える影響は、それだけで試合を決するほどの大きさではありません。
しかも、ガチマッチは相手の実力も考え方も分からない即席チームな上、意思疎通もできません。
その時に指針となるのが、(世間的な)「セオリー」という訳です。
結構前に、特に対抗戦を意識して「チーム単位の勝ち方を統一することが大事」って感じの記事を書いたことがあります。
仮にセオリーに反していても、チームで勝ち方を統一できていれば、それはそれで十分な力となるはずです。
一方でゾンビでワンチャン狙いプレイヤーと、ゆっくりスペシャル溜めてしっかり打開したいプレイヤーは同じチームにいても足並みをそろえにくい。
チームならば話し合いで落としどころをみつける方法も時間もありますが、野良ではこんなミスマッチが日常茶飯事。
ここで問題なのが、この「セオリー」が本当に浸透しているのか、共有できているのか、と言う点。
実際どの程度のプレイヤーが上位勢の解説動画、攻略wikiを視聴し、理解し、実戦しているのでしょう。
たくさんの上位勢がいて、毎日誰かしらが同じような内容の解説動画を上げているにも関わらず、ガチマには打開で突っ込んで死ぬプレイヤーがいれば、スペシャルを温存してチャンスを逃すプレイヤーもいます。
知ってか知らずかそういったプレイヤーは「セオリー」に準じていないわけで、であれば「自分はセオリー通り戦ってるのに」味方と合わないという試合が生じるのは当然。
「ここは打開の場面だろ、死ぬな~!」「スペシャル溜めないと前出られないだろ、突っ込むな~」「いまは塗り合いでカウント進めればいい場面だっただろ、対面仕掛けて死ぬな~」などと画面の前で叫んでみても、その思いは味方に届きません。
セオリーは野良で味方と動きを合わせるコンパスです。
ある程度普及して大体みんながもっているコンパスが存在するので、持っておくと便利です。
上位になればなるほど、このコンパスの所有率は上がり、どんどん味方と合わせやすくなると聞きます。
でも味方が同じコンパスをもっていない場合、違った方角を指すコンパスだった場合、あなたはどう動きますか。
2200帯を主戦場とする自分にとって、これは大きな課題です。
だから、セオリーは大事、だけどいつでも機能するわけではない、という認識を合わせてもつようにしています。
これが大半の(聞いている限りでは2500くらいになっても変わらない)ガチマッチという大海原の環境です。
ちょこぺろの強いところは、敵味方の動きに合わせて(みてから)後出しで最適な動きを高速で選択できること、そしてそれを実現するスキルです。
恐らく、あらゆるパターンが頭の中に経験的に蓄積されていて、この場面はこれがベストという選択が異常にうまいのがちょこぺろの強さ。
だから、25くらいの人が言う「22は味方が雑魚すぎて安定しない」みたいなことになりません。
味方が弱いのも含めて判断材料にできるからです。
実を言うとS+から上げれていないルールに関して言えば、私なんかでも劣化ちょこぺろが如く、ほぼ毎試合適度にキル無双しています。
なんかみんなあんまり動いていないというか、同じ場所にいる時間が長いのか、キルにかける時間が遅いせいなのか、とにかくカバーに入りやすいし、シンプルに対面が弱い。
これがまあ楽しい。
雑魚狩りと言われればそれまでですが、キルいっぱいで勝つの楽しい!
逆にまさとさま戦法のいいところは、自分の動きを極端に限定することによって、選択肢を狭め判断にかける時間を最小にできること。
そして、自分がセオリー外の動きを見せることで相手の思考に負担をかけられること。
更に、目立つ極端な動きをすることで味方が無視しづらくなること。
味方が合わせられなければとんでもない惨敗を招くこともあるでしょうが、ある意味味方を導く戦い方です。
これは「セオリー外の動きについていけない敵」を置き去りにする戦術とも言えます。
そんなわけで1つしか身に付けないならセオリーをおすすめするけど、結局ガチマでは”個”の力を伸ばす方が重要で、引き出しの多さを重視した方がいいんじゃないか。
まさとさま戦法も、塗るだけヴァリも、引き出しの1つとして活用できるのがガチマで勝ちあがる要素だろうなと思います。